
阿島傘伝承館にて阿島傘の会の久保田会長から解説をして頂きました。

阿島傘とは何か、その説明として歴史や特徴について説明をして頂きました。久保田会長は校長先生をされていた方だからなのか、ゆっくりと落ち着いた話し方をされていて、英語通訳に入ったFFJEの森谷君もやりやすかったように見受けられました。
江戸時代、阿島の旗本であった知久氏が治める浪合の関所で助けらた旅人が恩返しをと傘作りを伝授していったことが傘づくりの始まりとされ、伝えられた傘づくりに必要な材料が領内で採れたため、地場産業として広められ傘の生産者もどんどん増えて一大産業になるまでになったと説明があった。その後、ナイロン素材の洋傘が日本に入ってくると価格面で到底太刀打ちできなくなり、最盛期には100軒近くあった生産業者も現在では1軒を残すのみとなったと、始まりから現在までを説明して頂いた。
産業革命のあおりで衰退することになった産業についてフランス人に説明する場面が、なんだかブラックジョークのようでした。

阿島傘という消えゆく産業(文化)をそのまま消滅させるのはモッタイナイという想いから阿島傘の会が発足し、伝承館を建てたり子供たちに傘づくりをさせたり伝承活動を行っているというところまでが阿島傘についての説明であった。この日は会長さんだけでなく保存会の皆さんや喬木村のケーブルTVの取材の方なども会場に来て研修の様子を見守って頂きました。
一通り説明が終わると展示のあるロビーへと場所を移して、傘そのものや生産の様子を人形を使って表した展示品について説明をして頂きました。

実際に傘を手に取って開いたり閉じたりしながら製品としての特徴の説明がされ、まさにマニュファクチュアといった人形のディスプレイを見ながら生産体制についての説明がありました。日本人の学生たちは写真を撮ったり熱心にメモを取ったりしていました。フランス人の学生はというと、傘を実用品として見ておらず調度品か工芸品といった認識で見ていたようにおもいます。

ロビーでの解説が済むと、次は伝承館に併設されている阿島傘資料館に移動し、傘に使われている素材や傘づくりの工程の展示などを前に阿島傘の会の会員の方に説明をして頂きました。
空調のないさほど広くない部屋に大勢で入り、このときの気温が37℃であったため、学生たちは一様に真っ赤な顔をして大粒の汗を汗を流しながら説明を聞いていました。このとき目の前にいたフランス人学生に顔の前で手をぱたぱたとさせて暑いねというようなジェスチャーをしたら、もうたまらないといった様子で天を仰いで白目を剥いて返事をしていました。説明の内容は頭に入ったのでしょうか。

最後に阿島傘の会の皆さんに傘づくりの実演をして頂きました。現在、骨組みは岐阜から仕入れているため、工程的には大張りや天井張りと呼ばれる骨組みに紙を貼っていく作業でしたが、学生たちは興味深くその様子を眺め、また写真を何枚も撮っていました。
質疑では、なぜいまこれが売れないのかという質問がフランス人学生から出され、販売価格が6~8000円だから実用品としてはコスト面で太刀打ちできないという回答を聞いて、それは…と納得した様子でした。

伝承館で阿島傘の研修を終えて、午後の研修に入る前にたかぎ農村交流研修センターへ立ち寄り昼食をとりました。小休止の後、次の研修先である下栗の里へと向かいました。

